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Dhammapada第一 対の章



心に関するすべての法は、心が先立ち、心が最上の主であり、心より成る。人、汚れた心で話したり、行なったり、考えたりすれば、荷車をひく牛の足を追う車輪の如く、苦しみ、その人についてくる。(第1偈)
 
心に関するすべての法は、心が先立ち、心が最上の主であり、心より成る。人、清浄な心で話したり、行なったり、考えたりすれば、人に影が離れない如く、楽しみ、その人についてくる。(第2偈)
 
彼は私を罵り、叩き、打ち負かし、私のものを奪い去ってしまったと、そのような恨みを持ち続ける人たちに、恨みが静まることはない。(第3偈)
 
彼は私を罵り、叩き、打ち負かし、私のものを奪い去ってしまったと、そのような恨みを持たない人たちに、恨みは静まる。(第4偈)「恨(upanaha)」:瞋恚の一種、忿怒の後に生起するより強力な瞋恚を意味する。
 
この世において実に怨みは怨みによって決して静まることはない。怨みを持たないことこそ静まるのである。これは昔から変わらぬ真理である。(第5偈)
 「怨み(vera)」:瞋恚の一種、同義語に恨。怨者に対する慈の修習については89心と禅定作用四十業処
 
他の愚かな人々は、我々もここで死ぬとは知らない。これを知る賢い人々は、それによって争いが静まる。(第6偈)「四死生起」:1寿命死(ロウソクの芯が無くなり、火が消えていくように、寿命が尽きて死ぬ。老衰による死を意味する。)2業死(ロウソクの蝋が無くなり、火が消えていくように、その有情をもたらした業が尽きて死ぬ。事故にも遭わず急に若死にする。)3寿命業死(ロウソクの芯と蝋の両方が無くなり、火が消えていくように、寿命も尽きて死ぬ)4中断死(ロウソクの芯と蝋の両方がまだあるのに、強い風が急に吹くなどによって火が消されるように、寿命や業がまだあるのに過去世の業が機会を得ることによって故意に殺されたり、自殺したり、事故死したりする。)
 
この名色は清浄であると観て、六根を防御せず、食べ物において適度を知らず、怠惰で不精進な人を、ちょうど風が弱った樹を倒すが如く、その人を実に煩悩の悪魔が制服する。(第7偈)
 
この名色は不浄であると観て、六根を防御して、食べ物において適度を知り、信仰があり、精進に励む人を、ちょうど風が岩山を倒すことができない如く、その人を実に煩悩の悪魔が制服することはできない。(第8偈)
 
 煩悩をもったまま、六根の調御と真実から離れて、袈裟衣を着ても、その人に袈裟衣を着る資格なし。(第9偈)
 
悟りの力で煩悩を吐き出し、戒めを身につけて六根の調御と真実を具える、その人こそ袈裟衣を着る資格あり。(第10偈)
 
真実でないものを真実と思い、真実であるのものを真実でないと見る人は、誤った考えを持っている故、法の真髄を獲得できない。(第11偈)
 
真実であるものを真実と知り、真実でないものを真実でないと観る人は、正しい考えを持っている故、法の真髄を獲得できる。(第12偈)
六師外道 6サンジャヤ・ヴェラッティプッタ:人間の判断は完全なものではない故、形而上学的な質問に対して、例えば「別の世界があるか?」と問われれば、「私は有るとも無いとも考えず、それ以上のものであるとも思わず、否定もせず、存在も存在しないことも、その両方さえも考えない」として肯定否定の判断を明確にすべき出ないと説く
 
 
 
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