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Motherhoodは、自分らしさ
Eri Uchiyama


What is your motherhood?という質問にMotherhoodYoga・母性のヨーガを受講されたEriさんに聞きました。
 
改めて思いますが、
妊娠は不思議です。
お腹の中の赤ちゃんを守りたい。
大切に育みたい。
それができるのは
母である私だけだ。
 
そんな本能に従って尽くす
懸命さの一方で、
必死で守っているお腹の命は、
 
マイペースに夜中に暴れ、重くて
息切れして大変な生活を強いり、
お産では私に痛みを与える。
だけどなんとも愛おしい存在。
 
私にとっての大切な存在なのに
完全にそれを理解することはできない
「個」の生き物で、成長とともに
生意気なことも言いますし
予測しないこと行動もします。
 
親が主導権をもってコントロール
できるものではないと
子育てをしながら実感します。
 
子育て相談を聴く側に立っても同じで
みんな悩んでる。こうなって欲しいのに
思うようにうまくいかない。
 
だけどいつだって
必死に考えてるんです、
子どものこと。
 
どうか健やかで
ありますようにって。
 
この矛盾というか、
どちらの側面も、あって自然で
当然だって素直に思えたとき、、、
 


 
これまで(看護師として)
命の現場に立ったとき、
ガンだけどもっと生きたい、死にたくない。
受け入れたくない、病気になりたくない。
だけど、これは辞められない、とか
この矛盾する患者側の訴えを
問題だとか正さなければとか
一生懸命になっていたことが
どこかやり方や考え方が違ったのかも
しれないと思いました。
 
でも、わたしには職業柄というか
「診断や対策・指導」
という染み付いた癖があり母性の
フィールドで伝える側に立ったとき
正そうとか、こうあるべきという表現から
抜け出すことが必要で、特にとっさに口走る
言葉の表現から意識して変えていくよう
努力しました。
 
努力する際、お産や子育てでの自分の苦悩や
苦悩の中で見つけた喜びを思い返すことで
どちら側にも光を当てて
話せることが増えました。
 
「この場合は、こうあるべき」という法則の
ようなものもずいぶんと私の中で減りました。
何事も未知数になりました。
 
出会う親子さんが増えるたび、
親子のカタチについての視野が広がり、
「こうあるべき」の物差しはどんどん
小さくなっていきます。逆に許容範囲も
工夫も幅は広がり、次会う親子への
選択肢提示の幅も広がります。
 
さて。
書いてて、質問に対する答えに
近づいているのか、
よく分からなくなってきました。
何が変わっていったのでしょうか。
 
かっこわるいんですが、
いまの自分が好きになりました。
  
motherhoodは
自分らしさそのものなのかなぁ
と思うんです。
 

 
うまいところも、下手なところも、
欲張りなところも、
さみしがりやなところも、
そのままを自分でヨシとできる
自己許容といいますか、
 
自分を慈しむこと、
それが、肯定できる自分。
 
同じように、異なる存在である他者を
優劣ではなくそのまま許容できること、
慈しむこと。
…なのかな。
 
うーん、やっぱり、
言葉にするのは難しいです…。
motherhoodってなんなんだろう。
 
Motherhoodは、
自分らしさだと思います。
 
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