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日本母性看護学会
Rumi


 

 
広島で母性看護学会に参加しました。
『母性看護学』は母性の
ヨーガ・トレーニングを主催することになり、
初めて知った学問の分野です。
 
私は生まれてこのかた、自分がまだ少女だった頃悩みながら育ち、成人して自分が親になる時にも苦難し、いざ子を授かってからも子育ての戸惑いや、母親になることの難しさがあり、私が人の子供として生まれてきた現実、親になった現実、女性であるということの現実を理解したいと、そこに喜びを見つけたいと思い続けてきました。
 
30歳でヨーガに出会ってからようやく、自分で自分の未熟さをたしなめながら、間違いを正しながら、変わって行くことを受け止めながら、自分を信じる力を育てて行くことで、私が生まれてきたこと、こうして47年間生きてきた現実を理解するようになりました。私が父・母から受け継いだ心と体という遺産を、結婚して夫と夫の家族と暮らすことで異なるものと融合させ、今度は私が親となり、子へと渡しているという現実を、理解するようになりました。
 
理解するようになっても、そこに苦難がないわけではなく、一つひとつ受け止めて行くしかなくて、大事なことだから気を抜く訳にはいかなくて、おまけにどうやらこれは死ぬまで続きそうだぞと、ようやく分かってきたという感じです。でも、そのように分かってきたということが嬉しいです。
 
ここ数年は、これまでと違った喜びを感じる瞬間があることにも気がつきました。それは、私がテーマとしてきたことを誰かと共感できた時。共有することができた時です。私が走っているレールが他の誰かの道と交わり、そこにキラキラと光る新しいレールを発見するような喜びです。新しいレールを眺めるだけのこともあるし、新しいレールに乗ってみようと思うこともあります。
 
母性看護学会で、母性看護学の目的を知りました。学術集会長のお話や、母性看護に携わる方々のポスター発表で拝見したテーマ性は、私がずっと理解したいと願っていたものと一致していました。そうか、理解できないことを理解するための取り組みを学問というのか。理論立てて言語化し、その説明が正しいことを統計を出して可視化して客観的に証明する。その記録を残すことが大学や学会の取り組みなんだ。と、今更ながら学生に戻ったような気持ちでした。
 
そして学会が問題提起しているのは、現代ほど産前産後の女性と家族を、その人らしく生きることを支える支援が必要とされている時代はないが、しかし、そのための社会的体制が脆弱であり、そこには生活者への真の理解が必要なこと、医療・行政・民間の協働による支援のあり方を考えていかなければならない、ということでした。
 

 
福井での、私の小さなマタニティヨーガ、産後&ベビーヨーガという母性のヨーガのクラスは、その実践の場であるということに気がつきました。クラスの中で生徒さん一人一人が母性の芽生えに向き合っている時間は、生徒さん自身が、自分の感情に向き合ったり、変化を受け止めたり、自分を信じる力を育てたり、心身を癒している、はぐくんでいる、母性看護の実践ではないか。これは、大きな発見でした。ヨーガを通じてマタニティサイクルの健全性を守ること、はぐくむことは母性看護の視点からも、力強い実践力となるのかもしれないと、いま、母性のヨーガの可能性を感じずにいられません。私がこれまで走ってきたレールの行く先が、母性看護学という光ではっきりと照らされたような広島滞在でした。
 

http://bosei21.jp/
 
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