シンギュラリティとマンダラ

2018年4月27日に神戸にて行われた「シンギュラリティとマンダラ」に参加しました。演者は宇宙物理学者と高野山真言宗大僧正。シンギュラリティとは、技術的特異点であり機械が人間を超えるポイントのこと。マンダラとは密教のお経をガイドラインにしてコアメンバー、チームの構成図を示したものです。

科学的アプローチと文化、宗教的実践はどこか、方向は違うようでいてそれでいて、でもそれぞれに気になることがある。特に科学的アプローチではAI、ロボットといった、道具以上の物が生まれようとしているとき、周辺にいる人間がどうすればいいか。迷っている答えを決めかねているようです。

宇宙物理学者の松田氏は、どんなにA I、ロボットの技術が進もうと、人間を超えるはずはない。意識を持つはずはないととく。しかしメガネが視界を広げ、スマートフォンが情報伝達に変化をもたらした以上に、限りなくシンギュラリティのポイントにおいて、人間と機械の融合が進むだろうと予想されるという。

大僧正の山崎阿闍梨は、密教の視点より、そもそも宇宙は一つの人格であり、はじめもなければ、終わりもない。光りが生じ、音が伝わり、物質ができ人間もその過程の関係性の中で生きていること。瞑想を日々行うことで、その関係性に気づき、宇宙意識にて生きるべきだと強く述べる。

人間とは何か?
髪の毛、皮膚の細胞、内臓の組織、どれをとっても留まるののはなく、身体には自分がない。それでも、日々、私は私であると認識している自分がいるということ。これが「念」であるというと山崎阿闍梨。それを聞いた松田宇宙学者は、私はそのことは、わかりません。それは記憶であり脳内ではシナプス結合しているだけでしょう。と反論する。

松田宇宙学者は、科学者としての分析において、結果に基づく未来と語る。一方、山崎大阿闍梨は、瞑想の実践における経験において、今、生きていることに何の疑問もない。

科学的分析と宗教的実践。

さて、何を語る集まりだったかと一瞬考えていたら、制限時間終了。人工知能が高くなり、人間を超える時が近い将来にやってくる。それを「超人間・ポストヒューマン」と呼ぶ。仏教では、何度も生まれ変わり、衆生の救済を実践するものを「菩薩」と呼ぶ。山崎阿闍梨の書籍には約20年前に出会い、今回初めて、講演を通じて出会うことができ感動しました。と同時に、90歳を目前にした姿は、彼の強い実践と少しズレのある老いの雰囲気でした。

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