いのち:ここ、私の家です。

彼女の財布は厳重にロックされている。大きめのハンカチに封筒が包まれていて、またハンカチに包まれていて。またまたハンカチに包まれていて、5枚のハンカチに封筒が包まれている。

法要の事務所でお布施を渡そうとハンカチの鍵を解除する。ハンカチ一枚目ハンカチ2枚目ハンカチ三枚目ハンカチ四枚目。そして五枚目。出てきた封筒からは、コインと紙幣が。彼女は紙幣を一枚取り出し、これでどうですか?


聖徳太子の一万円札。
受付の二人も住職の奥さんも私も
おー
と歓声があがりました。そしてコインは
天皇皇后両陛下の記念硬貨。
オォオー
と再び歓声。

これでいい?と聖徳太子のお札を出そうするが、いやいやいや。これは大事にしまっておいてください。コインもしまいましょう!

無事に法要が終わって、数珠を購入しに8号線の仏壇屋に。ここら辺は県立病院だね。ここのお寺さんは保育園もされていました。と次々に記憶が浮かんでくる。「松本通り」を通っていると、あーここ(建物を指差し)は、同級生です。そうですか。同級生の人は元気でしょうか?100歳近い人だから同級生も100歳近いのでしょうか?

フェニックス通りを一本、入った田原町にあるOrangeLivingBaseに到着。
ウヮー
わー
あー
と驚きしかなく、クリニックの事務所ですと伝えましたが、ここが、どういう施設かはわからない様子でした。田原町はこんなに静かなのですね。電車で「田原町」駅まで通って、高校に教えに行っていました。福井地震の時は、校舎に二人残っていて、大変でした。いつもと違う音がするから、カエレーカエレート言われて帰ったんです。そしたら地震があって。翌日からは片付けで大変でした。それから、ここら辺も水に浸かったんです。


私は先月の豪雨の時に調べた
福井地震と豪雨についてのパンフレット
を思い出しました。

1948年。
お婆さんはここにいた。
ここで生きていた。

お寺でいただいたお弁当を綺麗に食べて
事務所においてあったクッキーをいただきました。
お婆さんは、このクッキー美味しいですね。としみじみ。

これは、「森八大名閣」と言う饅頭屋さんのクッッキーです。
あー、大名閣の饅頭を買いに行きたいと思っていました。
とお婆さん。老舗の菓子屋だから、
もちろん私が生まれる前から知っているのでしょう。

お茶を飲んでから、住んでいる施設に向かいました。
どこから向かうのですか?と聞かれ、
藤島神社のところを通って、地下道をくぐりますね。
と言うと。ハイ。そして神社を通りすぎ、
角の饅頭屋を左に曲がって信号待ちをしていると
「ここ、私の家です。」
えぇええー
はい。今は誰も住んでいません。

信号を渡って、ここら辺は刑務所のとこですね?と
お話しすると、はい、ここらへんの川辺で
ヨモギとってました。
ここら辺のヨモギは
誰も通らないからキレイなんですよ。

ははー
おそれいりました。

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