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コラム

livelight:Shaman in the Digital village

2017/10/20 / livelight

 

モントリオール、マギル大学にて開催されたThe 2nd International Congress on Whole Person Careに参加してきました。僧侶としてクリニックに勤務して5年目になります。病気を超えて、その人らしく死の過程を迎えるために、勤務先のオレンジホームケアクリニックでは医者、看護師、医療事務、の他に様々な職種がいます。私も「その他」の一人。

 


異なった経験の持ち主がクリニックに集合し、人生の最終段階(死の過程)をチームとして支えること。このためには、経験を超えたフレームが必要です。医療のフレームだと、治療しますか?治療しませんか?できますか?できませんか?と常に二者選択をせまられて、家族がフレームだと、死にたくない。知りたくない。など感情が先走る。

バランスのとれたフレームはないのかと悩んだ末に行き着いたのがwhole person careです。ここでは「苦悩」をフレームにします。生きている、その人のありのままの「苦悩」をフレームにすることで、全人的にケアに進む。病気を抱える本人の苦悩との出会いにより、援助者も援助者自身の苦悩に気づきながら、苦悩に向かっていく。患者さん、ドクター、看護師、家族と対話がつながり、「癒しの旅」チームとして「死の過程」のツアーに参加することになるのです。




The 2nd International Congress on Whole Person Careでは、初日に市民公開講座が行われました。「Shaman in the Digital village」わかりやすく言えば、現代人の中に海の神さま、山の神さまを持とう!といった感じでしょうか?

the Digital villageとは現代社会のことであり、エビデンスベースに基づいた医療システム。evidence based medicineにて新しい治療、リハビリが日々開発されて、導入されているけど、それらの治療は、過去の方法とどれくらい違いがあるのだろうか?もちろん、科学、医療の目覚しい発展によって、病気からの恩恵を私たちは受けている。

Shamanとは、その人に最適なキュアとケアを施す、癒し人。

治療効果がある。ない。回復した、しないというエビデンス的にも限界がある(どんな風に治療してもあまり変わらない)どんなに医療が発達しても、いつかは死を迎えるということ。サイエンス、価値観、社会のレボリューション(変革)が今、まさに必要。

レボリューションとは、デジタル(科学・医療)の社会の中にあってシャーマン的な心持ち、実践を持つこと。シャーマンとはキュアーとケアを施しコンパッション・慈悲を持ち合わせている。山の神さまを心の持つドクターだったら、死にたくないという私の願いを聞いてくれるだろう。海の神さまを心の中に持つドクターだったら、生きていたいとう私の不安を聞いてくれるだろう。


シャーマンでいて
医療者であれ
シャーマンでいて
援助者であれ
シャーマンでいて
家族であれ
シャーマンでいて
本人であれ

あなたがシャーマンになる。
話を聞きながら、前日に巡った、考古学歴史博物館の
シャーマン「森の精霊」に思いを馳せました。