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コラム

苦悩

2017/11/13 / livelight

 

モントリオールの旅は「苦悩」がテーマだった。「人間が苦悩するのである。(Bodies do not suffer,only person do.)」私は衝撃を受けた。生老病死は、苦だと説かれていて、苦しみなんだよと、さんざん思っていたし、読んでいたけど、「人間が苦悩するのである。」。これほど、切実に言葉で伝える苦があるのだろうか。

 

Bodies do not suffer,only person do.

そうなんだよ。そうだよね。やっぱりそうか。よし。と確信した。それは、苦悩をなんだか、両手で優しく包み込むように、大事に持っているよう。

滞在先のホテルを出て、坂を下りて、左に曲がって、歩き出すと、カボチャが現れる。赤いカボチャ。穴の空いたカボチャ。シルバーカボチャ。草間彌生さんのカボチャ。なぜ、こんなにカボチャに魅了されるのだろうか。なぜ、彌生さんのつぶつぶに、気持ちが向くのだろうか。彌生さんは「苦悩」をカボチャの馬車にかえて、アートに連れて行ってくれる。見知らぬ土地で、私はカボチャの馬車に乗車した。
Relationship Centered Careの話で、デビットボーイの孤独について触れていた。彼の音楽の背景にあるアイソレイト。孤独。彼の音楽。

患者が苦悩する場合、
苦悩は痛みでもなく、
恐れでもなく、
孤独感でもなく、
苦悩は苦悩なのである。

苦悩には常に葛藤が伴う
苦悩は重要な目標の喪失や
大きな変更を常に伴う。
苦悩は常に孤独である。

学会に参加する前に、標高233mのモン・ロワイヤルを毎朝走った。新緑の深い林を抜け、朝の光りを受けながら、苦悩と共に走る。一歩一歩足を進めて、ゴールを目指す。いろんな思いは消えて、足を前に進める私だけ。

苦悩は自分なのだと、息が荒くなりながら、そう思う。苦悩が私であり、それが私という個別性であり、それが生きているということなんだ。

明るくひらけた、頂上があり、どこまでも続くモントリオールがあった。その先もずっと広がる、カナダの大地が見渡せた。
なんて、美しいのだろう。
なんて、眩しいのだろう。
なんて、素晴らしい。

Bodies do not suffer,only person do.

カボチャの馬車は、どこにも行かなかった。
カボチャの馬車は、何も言わなかった。
カボチャの馬車は、穴があいていて大きくて赤くて
キラキラしていた。