可能性と共に生きるー仏教・量子論・哲学・人工知能
 

東京の高福院(高野山真言宗)にて開催された、「可能性と共に生きるー仏教・量子論・哲学・人工知能」に参加しました。映画『君の名は。』のような「可能性」を仏教、量子論、哲学、人工知能のそれぞれの側面から議論していこうという可能性に溢れた集まりでした。
 
はじめに、東大物理学化卒業という宍戸氏は、物理が専門なんだけど、仏教の禅が好きで、禅の生活を提案しながら、科学的に仕事をするというユニークな人。マインドフルネスから禅、ヨガ、神道、能など「今、ここ」の実践をしながらも頭の中では、量子論における可能性を模索されていました。
 
粒子を観察した時、観察者の理解が相手に影響を与えること。科学的な検証が壁にぶつかっていることを知りました。そして空間とは入れ子のように何重にもフレームになっており、固定化されないこと。常に移り変わっている現象ということでした。

 
 
この「2重スリットの実験」動画は非常にヒントをながかけるものでした。
 
「観察という主体的行為が変化を現実に与える。
 観測者の数だけ実体があること」
 
観察が関わることでなぜ、粒子は反応するのか?サイエンスでは証明できないことは、判断を保留にするそうです。
 
観測者の数だけ、現実がある世界において全体はどこに向かうのは、そもそも全体として向かう必要があるのか?
個がそのまま即全体ではないのか?
自動意識とは、3秒後の後付けの意識であって本来の意識ではない?
意識の裏には魂がある?
分かるを超えて全体性を知覚する。
 
言葉にしない能や禅における、二分法にて分ける前の感じる力を大切にする。鎌倉マインドフルネスラボでは、そんなサイエンスとスピリチュアルなクロスにチャレンジしていました。
 
次に登壇したのは、哲学者であり、人工知能研究者である大山氏。
「今、ここ」という「現実態」を二分論にした時、
現在と過去・未来。
顕在と潜在。
知覚と想像。
自己と他者。
と「可能態」が生まれる。
 

 
従来の哲学では「what,Xとは何か?」と問われてきたが「how,Xはどのように経験されるか?」とwhatではなくhowと聞く現象学が生まれる。直線的にwhatと分断するのではなくて、経験をそのまま尋ねる記述するということ。
 

 
whatと聞かれれば、説明しなければならない。証明しなければならない。演算しなければならない。そんなことを自分について出来るだろうか?
howと聞かれれば、「今、ここ」で起きていることを話すことができる。記述することができる。気持ちを表現することができる。記述を他の人にシェアできる。
 

 夢の中で胡蝶(のこと)としてひらひらと飛んでいた所、目が覚めたが、はたして自分は蝶になった夢をみていたのか、それとも今の自分は蝶が見ている夢なのか 『荘子』

 


 
「現実態」をサイエンスで分析をしても、観察者のざわつきで、判断ができない。「現実態」をwhatで研究するのではなくhowという寄り添いによって、近づいていく。深めていく。そのことが私という個人の理解であり、全体という真実に触れる「可能性と共に生きるー仏教・量子論・哲学・人工知能」の出会いでした。
 
 

可能性と共に生きるー仏教・量子論・哲学・人工知能

<概要>
量子論の先端的な研究が、宇宙や素粒子の謎を次々に明らかにしています。また、量子論に基づき凄まじい処理能力を発揮する量子コンピュータが、人工知能の進化を一気に加速するといわれています。そのような科学の発展と同時に、哲学や宗教も注目されています。人工知能研究が人間の知能を作ることを目指すなら、「人間とは何か」、「知能とは何か」という哲学の問題に向き合わなくてはなりません。また、仏教瞑想による心身の変容を神経科学などが研究し、仏教的な心身の見方に明快な説明を与えています。科学・哲学・宗教の相互対話によって、われわれが生きている世界、そしてわれわれ自身についてより深く知ることができるのです。そのようにして、世界と自分自身についてしっかりと考えることは、生きていく上での指針の形成や人生をより深く味わうことにつながっていくのではないでしょうか。
そこで、科学・哲学・宗教を横断しつつ、世界と自分自身について考えるイベントを開催することにいたしました。量子論と禅に明るい宍戸幹央氏と、哲学と人工知能の専門家である大山匠氏と一緒に、「可能性」について考えます。
時間や空間を超えて行き来するような映画やドラマがあります。2016年に大ヒットした『君の名は。』がそうでした。ふつう、時間は過去から現在そして未来へと直線的に流れていると考えられていますが、このような作品では、過去・現在・未来が円環的につながっているかのような時間のありようが表現されています。円環的な時間においては、過去に死んだ人が現在に現われたりします。死者が現われる文学作品、映画、ドラマは東洋にも西洋にも数えきれないほどありますが、われわれはそれらを荒唐無稽な作り話として一笑に付すことなく、共感し感動します。ひょっとしたら、われわれは円環的な時間と出会っているのかもしれません。この「ひょっとしたら出会ってしまうような次元」が、今回テーマにする「可能性」です。「可能性」について仏教・量子論・哲学・人工知能研究が考えてきたことをご紹介した上で、全体での対話を楽しみます。「可能性」にふれることで、われわれ自身、われわれの現実について新しい見方が生まれる場にしたいと思っています。
 
<スピーカー/ファシリテーター>
宍戸幹央氏(鎌倉マインドフルネス・ラボ代表/ZEN2.0共同発起人)
東京大学工学部物理工学科卒、東京大学大学院新領域創成科学研究科物質系修了。日本IBM株式会社を経て、大手企業のグローバル人材育成を中心とした教育研修を手がけるアルー株式会社に創業時から関わり講師部門の責任者として業容拡大に貢献。また、高校時代より量子力学、脳科学、心理学、宗教学など幅広い分野をベースに”人の可能性”への探求を続けており、現在は、企業組織の支援だけでなく、鎌倉を拠点に禅・マインドフルネスの国際カンファレンスZEN2.0など日本の文化を軸としたこれからの時代を生きるヒントを学ぶ場を展開している。
大山匠氏(哲学者/人工知能研究者)
上智大学大学院哲学研究科博士前期課程卒。「意識」を中心的なテーマとし、数学、論理学、身体論、宗教論、芸術論といった多様な文脈の中で「自己」や「心」の現象を研究。現実/可能性、自己/他者、現在/過去・未来といった区別が意識の経験において跨ぎ越される現象を端緒にしながら、現在は哲学と人工知能の境界領域の研究に取り組んでいる。
川島俊之(高野山真言宗高福院副住職)
慶應義塾大学経済学部卒、高野山大学大学院文学研究科修士課程密教学専攻修了。監査法人トーマツ(会計監査・上場支援)、株式会社三和総合研究所(経営コンサルティング)、グローバル・ブレイン株式会社(ベンチャーキャピタル)のパートナーを経て現職。また、東京工業大学非常勤講師(新事業創造論)、名古屋商科大学大学院客員教授(ベンチャー企業の事業創造)をつとめた。現在は、高福院副住職をつとめつつ、寺で「共感」や「可能性」をテーマにした哲学塾を開催している。