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グリーフケア:介護

2012年のクリスマスから
約三ヶ月、特別養護老人ホームにて
介護の仕事をさせていただいた。

介護とは老人の生活に寄り添う仕事。
生活とは、
朝、布団から起きて、パジャマから服に着替えて
洗面をしてご飯を食べて水分を摂る
昼、ご飯を食べて水分を摂って、トイレ、風呂
夜、ご飯を食べて水分を摂って、オムツ交換
そして、靴下をとってパジャマに着替える。
老人の生活に寄り添うこと。

寄り添うとは、その人の前に出過ぎるのでもなく
後ろに遅れを摂るのでもなく、その人の呼吸に合わせて
ついていき、手をさしのべる。

貧しい人たち、弱い人たちただ寄りそうようにそして愛するように愛を与えよ(マザーテレサ)

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●身体が硬直した老人
●身体が麻痺して半身に力がはいらない老人
●心が不安定で身体が震える老人
●精神にバランスがとれない老人
●怒りで表現する老人

そこに住む人はそれぞれに
それぞれの苦しみを背負っていました。

仕事を初めて、数日後に浄土真宗の僧侶による法話がありました。

阿弥陀様からみた私たち人間の世界は、逆さまに見えます。つまり私たちは鬼に逆さまにつるされて身動きが出来ない世界で生きているんです。

車椅子になり
話せなくなり
オムツになり
箸をもてなくなる

その時、
こんなに身体にしばられていると思ってもいないだろう。
こんなに心の後悔に縛られていると思ってもいないだろう。
いつかは、身動きがとれない、吊るされてしまうのだ。

だれに?
私自身の身体と心にだ。
相手がいれば、逃れる方法が何かあるかもしれないが
身体と心では逃げる場所がない。

阿弥陀様の世界にいけば、逆さまから解放されるという。
それが極楽だ。

トイレに入るのも
お風呂に入るのも
何をするにも怒る人がいる。
「テーブルをたたく。」ことが相手とコミュニケーションを
とる唯一の手段。

怒る反応に「つるされている」のだ。
一度、この人に伝えたことがある。
「怒る」だけでは相手に伝わりませんよ。
何が嫌で、どうして欲しいのか。伝えてください。と
そうすると、その後はとても協力的になってくれた。

経典にこんな話がある。
死んであと、閻魔さまの前に立たされて質問される?
お前の周りに病気になった人はいなかったのか?
閻魔さま、病気になる他の人はたくさんみてきました。
お前はその姿をみて、自分も病になるはずであり、
なぜ今まで「のほほん」と生きてきたのだ!?

再び、閻魔さまは訪ねる。
お前の周りに死ぬ人はいなかったのか?
閻魔さま、たくさんの人が死んでいきました。
お前も死ぬ身でありながら、何もせず生きてきたのか?

いつかは「つるされる」のではなく
いまでも「つるされている」ということ。

病むのではなくて
既に病んでいるというと

老いるのではなくて
今も老いていること

そのことを
教えてくれた。

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ほほえみ ふれあいを 忘れた人がいます。これは とても大きな貧困です。人間にとって一番ひどい病気は、 誰からも 必要とされていないと 感じることです。わたしたちのすることは、大海のたった一滴の水に すぎないかもしれません。でも、その一滴の水があつまって大海となるのです。(マザー・テレサ)

一滴の水。
それが海ということ。

だから
怒っても
我がままでも
何も話さなくても
生きている限り
老人に寄りそうこと。

そして私に寄りそうこと。