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伊勢神宮にお参り。2013年08月25日

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伊勢神宮にお参りに行ってきました。
時折、雨が降る曇り空でしたが
雨の音を聞きながら、天照大神の地で
ゆっくりとお参りしてきました。

滞在中、新しい御正殿の敷地に敷き詰める
「お白石」を奉献する行事が行なわれていました。

川より拾い集めた「お白石」を
奉曳車・ 木そりに乗せ、沿道や川
を練り進んでいました。

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伊勢神宮では、神様にお供えする
神饌(しんせん)、米や塩、野菜など
全て自給自足しているそうです。

また調理には火打ち石や火きり具などで
起こした神聖な炎(忌火=いみび)を使う。

これを古代より、朝、晩、毎日続けて
いるそうです。

「伊勢の神道」について講演を聞いたのですが
その中で、清浄について

 ●其の品は一に非ず
 ●正直
 ●一心不乱
 ●超生出死

「一心不乱が、また生を超え死を出づることが、
清浄であり、正直であり、混純の始めを守ること」
ということでした。

この話を聞いて、日本の型文化を少し
理解できた気がしました。

正直に決められた型を
一心不乱にしていくこと。

これが「生」や「死」を超えることが
できるという。

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20年に一度、社殿を
つくりかえて神様を遷す。

この型に従って日々の行いが
脈々と生きている伊勢神宮。日本国。

また、神道の死についての話もありました。
人が亡くなったとき、亡くなった人を
「病気大切に及ぶ」
「息がある状態」
「瀕死で病床にある状態」
として、あたかもまだ、息をあるような状態で
扱うそうです。

そして棺は見えないように籠に入れ着物を掛ける
墓地へ搬送し、墓地にて死者として葬儀を行う。

これを早懸(はやがけ)】と呼ぶそうです。
死の穢れを家にとどめないためまだ死んでいない
ということにして、いちはやく死者を送り出す
型「葬送方式」ということでした。

最後まで「型」の中で生きることで
「生」に執着せず、「死」ぬことを厭わない。

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