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四つの心を育てる:慈悲喜捨

落ち着かない心から、一つの方向に
向けていくには、心の性質を
理解する必要があります。

そのための方法として
ヨーガ、仏教のでは、「慈悲喜捨」
の実践を説きます。

慈悲喜捨(じひきしゃ)とは
安定した心の状態において
慈しみ・悲しみ・喜んで・執着しない
と四つの心を育てていきましょう。

過去、現在、未来にという横の時間軸で私たちは生きています。
食べながら、午前中のやり残した仕事のことを考えたり、
食べながら、食べ終わった後に、食べたい、デザートの事を考える。
洗濯物を干しながら、夕食のメニューを考える。
掃除をしながら、昨晩やった夫婦喧嘩について思いだし、
腹を立てる。

「~しながら」というやり方は、効率的で、早いように感じますが
身体と心は一つの事しかできない為に、とても忙しい状態
不安定な状態になります。

約半年間、ヨーガに通ってくださった三人の子供を持つ
お母さんであるAさんに体験談を聞きました。

今まで見えていなかった子供の成長、体の変化、行動を意識して見る事が出来るようになった。

自分自身の心の状態を落ち着かせることにいつも、「気づき」子供や周りの人に落ち着いた状態で話を聞け、落ち着いた状態で助言ができるようになった。

子供が朝、学校に行く前にいつまでもぐずぐずしているとき、今までは、早く行きなさい!早く用意しなさい!何時まで何をやっているの!と怒りの連続。

子供は、泣いたり、ますますぐずぐずしたり。それを「1,2回ぐらい遅刻してもいいから、ゆっくりご飯食べなさい。ゆっくり用意して、遅刻していきなさい。」と落ち着いて伝えると子供は急いで、用意をすまし、さっと学校に向かう。

野球のクラブ活動にて、コーチ自身がイライラしていると、いつも目の敵にされる息子に、以前は、何で内の子は何もしていないのに、ちょっとしたことで、怒られなければいけないのと、家に帰って、息子と一緒に怒っていた。

今は、コーチは奥さんと喧嘩でもしたはずよ。だから、今いらいらしているのかね。かわいそうだね。特に何かない限り、コーチの近くにいかないでおこうね。といつまでも怒られたことに対してくよくよするのではなく、感情をマネージメントすることで、翌日の練習にも、元気に行くようになりました。

そして、最後にAさんは秘密を明かしてくれました。

主人にも内緒で、イライラすると、こっそり20年ほど、吸ってきたタバコを止めることが出来たんです!今までに、何度か、止めようと思ったが、その都度、止める事ができなかったそうです。それがいつの間にか、止めることが出来るようになったとのこと。私が生きてきた中での一番の達成です。

と聞かせてくれました。

子供たちや家族、周囲の人を通じて、
現在への「気づき」を深めていくことで、
知らず知らずに、確実に、
自身の感情のコントロール、
集中力がついてきたんでしょう。
過去、現在、未来で、私たちは現在を生きています。
常に、やろうか、やめようか、できるか、できないか、
良く思われるか、これでいいのか、
と葛藤の心が生じるのです。

一つの思考で、一つの行為をしたとき。

そこには、たくさんの発見があります。気づきがあります。
食事の用意。食器洗い、洗濯干し、掃除、子供の送り迎え。
気づきがあれば、すべて、同じではないのです。

子供は、毎日成長していますし、
私たち大人も年をとっている。
乗っている自動車も、車検が迫ってきている。
洋服も日々へたってきているし、お腹もすいてきている。

いつだって、同じ瞬間はないのに、過去、現在、未来という
散漫な意識になった時は、毎日毎日、同じ事で、ツマラナイ、
私はなにをやっているのか。と心ここにあらずで、
生きてしまうのです。


心の葛藤とは何でしょう?
他人の幸せの望めない。
他人の不幸を悲しめない。
他人の喜びを喜べない。
自分に執着する。


心とは構造的にこのような欠陥を持っているのです。
まずは、冷静に自分が本当に、このように、
心が動いているのかを観察していきます。

注意していただきたいのは過去、現在、未来から、
慈しんだり、悲しんだりするのは、慈しんだり、悲しんだり
しているのではないということです。

この人と友情関係を結んでいれば、何か自分が得をするだろう。
この人の不幸は悲しまないと周りから何か非難される。
という葛藤の中での、見せかけだからです。
「気づき」の中で慈悲喜捨を実践するとは葛藤がなく、
まっすぐに自分の心のブレと向き合うということです。
向き合って、葛藤が動き始めようとしたら、
それを観察するのです。

利害関係を期待して、今、喜んでいるふりをしているな。
自分の子供がレギュラーを外されて、
他の子供がレギュラーになると、何で、家の子がうまいのに。
と心は、動いていきます。このような、心の動きは、
自分ではなくて、心という構造的なプログラムなのです。

ですから、いつも、心は、ねたみ、怒り、慢心、怠け、などの
プログラムを今か今かとスタートしようと待ち構えているのです。
私たちはそれを「気づき」を持ってコントロールしていくのです。
放っておけば、激流にながされていく、

川の中にあって、上流に向かって、「気づき」を持って、
足場を確認しながら一歩一歩あるいていくのです。

他人を蹴落として、自分だけ自分だけ、という心の状態が
落ち着きがなく、一番損をするのが自分だと気づいた時、
初めて、心を育てていこうと覚悟します。

他人の幸せを望めない心を
望めるように、気づきをもって慈しむ。

他人の悲しみを悲しめない心を
悲しめるように、気づきをもって悲しむ。

他人の喜びを喜べない心を
喜べるように、気づきをもって喜ぶ。

エゴに執着して放せない心を
放すように、気づきをもって放す。
過去、現在、未来とは私たち自身が瞬間瞬間に
つくりだしているに過ぎないことに気づき、
現在だけの進行形を生きる。

そうすれば、昨日と明日はなくなり、
心は葛藤のない「今」になるのです。

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