下北半島恐山に観光 2013年10月29日
本州の最北に位置する下北半島、
恐山に参拝に行きました。
下北地方では
「人は死ねば(魂は)
お山(恐山)さ行ぐ」と
言い伝えられている。
到着してお迎えを受けるのは、
「だつえばば」
川をわたると、
おにのすがたをした
ばばとじじがまっておった。
「さあ、ここからは、
はだかになっていけ!」
ばばは、トラのように
さけんで、わしらの
きものをはぎとった。
じじはそれをうけとって、
大きな木のえだに
かけておった。
「これみろ!
えだが、こんなにまがっておる。
わるいことをした
しょうこだ。」
じじがわしをにらんだ。
絵本地獄―千葉県安房郡三芳村延命寺所蔵
恐山は
伝承によれば、開山は貞観4年(862年)、開祖は天台宗を開いた最澄の弟子である円仁(慈覚大師)であるという。
文化7年(1810年)再刊の『奥州南部宇曽利山釜臥山菩提寺地蔵大士略縁起』によれば、円仁が唐に留学中、 「汝、国に帰り、東方行程30余日の所に至れば霊山あり。 地蔵大士一体を刻しその地に仏道を広めよ」という夢告をうけた。 円仁はすぐに帰国し、夢で告げられた霊山を探し歩いた。苦労の末、 恐山にたどり着いたといわれる[1]。(wikipediaより)
「地獄」付近は火山性ガス(亜硫酸ガス)
が漂っていて、コインもしばらくたつと
黒ずんでいく。
そこにいるだけで
劣化していく。
亡くなった人が寒さに困らないよう
ジャンパーがかけてあった。
地獄の先には宇曽利湖(うそりこ)
があり、そこは極楽。
そしてその先には
お母さんの道が続く。
再び、人間界に生まれ変われるよう
祈りが続く。。